傍若無人自作自演〜あほうどりのぼうけん〜


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[926] 夜に祈り昼にわめく Name:あず@だれっぱなし Date:2017/10/16(月) 11:04
呪縛のない中年なんかいねえ。

おれにだってもうおれ自身がいい歳だってのはわかっている。
ああ今晩は雨もしとどに降り募り、しぬのにはいい晩だたのかもしれない。
だがおれはこうしてみじめな自分を嘲笑いながらここにこうしている。
既うなんにもあてにならない、とうそぶいたのは小林秀雄のオフィーリアだ。青臭い俺のプリンセスだ。

若いときは生命力がありあまるからこそ、シーソーの片側に死を乗っけて時折鼻先をかすめるそのにおいににやにやしていることもできたのだろう。
今のおれたちは、足を引きずりながら靄のかかった道を歩いていて、靄ごしに数メートル先にいる死の後ろ姿をうっすらと感じている。
まだ数メートルは離れているさ、とうそぶくこともできるだろう。
でも薄靄の向こうで死はおれたちを見ている。
おれたちはその肌に、あいつがそう遠くないことを指すような感覚で気づいている。

まあおれがこうやって荒れる原因なんてたかが知れていて、たいていは酒をのんだときか芝居をみたときだ。
んでもって今日は両方やったんだから戯言も吹き出ようというもの。
そしてそれがさりんぐの「続けること」という芝居であればなおのこと。

おれは続けなかった側だ。さりんぐは続けた側だ。
芝居において。
おれは続けた側だ。そしてまだ続けようとあがいている。
アカデミアにおいて。
さりんぐは以前よりもさらに残酷に、さらに美しく「続けること」を描いた。あまつさえ「再開」すらも。
それがおれには熱を伝え、靄の向こうの死をうっすらと見せたのだ。
おれはまだもがかねばならない。まだあきらめるわけにはいかんのだ。
この年になったらもう少し何かを成していると思っていた。だが今はどうだ。
おれのみすぼらしさを思うとはらわたがよじ切れそうだ。
こんな状態で死ぬわけにはいかない。
まだだ、まだなにも。

変わらないように見えるのは、変わらないものを見出したい人が見るからだ。
変わってしまったように見えるのは、変わってしまったことを見たい人が見るからだ。
人は見たいものを見る。だから、他人がおのれの鏡に見える。みんな勝手に生きてるだけなのに。
勝手な絶望で海底にでも沈んだような気持ちで毛布にくるまる。

そのまま夜を超えて太陽がのぼっても、おれの自我のふらつきはなおらない。
おれ自身はもともとこんなもんだったのかもしれない。
おれたちが愛してやまなかった小劇場の力というのが、もともとこんなもんだったのかもしれない。
日が昇ってもそして沈んでも、澱のように「過去」は降り積もっていく。
おれはちゃんと、泣きわめく以上のことができるかな。

とりあえず、さりんぐに直接結婚のお祝いを伝えられてよかった。
制作のひとと結婚するとか、ある意味職場結婚ってか同業者どうしの結婚だよなあ。まあそういうののほうがわかりあうポイント多くて楽だよな。
彼らの前途に幸多からんことを。
…そして願わくば、われら観客におこぼれも多少あらんことを。



  






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